なで大さわぎして喜んだ。そして、ある程度田植えをしていい大きさまで育てるのに一ヵ月ほどかかった。田植えは、ピンと長くひっぱられた糸の線に沿って手植えをしたけど、ぬかるむ畑に足をつけて、みんなでワイワイ楽しくしたので、大変だとは思わなかったけど、八十人ぐらいで一直線に植えていったので、早く終わった。しかし、 祖父はこれを祖母と二人で、ぼくたちや、東京にいるいとこのために、お米を作っているのだ。食べ慣れたおいしいお米をみんなに食べてもらいたいからなのだろう。一度だけ機械がこわれたことがあり、「おじいちゃん、今年は機械なかったら父も、一年一年年をとっていくから体力仕事は大変だしきついと思うけどぼくの事をこんなに考えてくれていたのかととって大変やけん、お母さんにお米は買うように言ったら?」と言ってみた。すると祖父は「そがんことできん。この畑で育ったお米ば食べんば、元気にならん。ゴウがこのお米で大きくなる事が楽しみたい。」と言った。祖も嬉しくなった。台風の時期になると、苗が倒れないか気が気でないらしい。ある年は、ある程度大きくなった苗が全部同じ方向に倒れているのを見た事がある。でもお米は、殻から飛び出さず、必死にしがみついていると祖父が見せてくれた。その一粒を見て今年もおいしいご飯が食べられるととても安心したことを覚えている。ぼくは、バスケットをしているけど、今の悩みは、身長が低いことである。だから、祖父の大事に育てて作ったお米を毎日食べて、誰に当たられてもフラフラしない体作りをしたい。そして、お米の一粒のように、コートに立つ一人としてみんなを安心させたい。そして、僕の体が大きくなってバスケットで活躍して、祖父母を安心させて喜ばせたい。祖父母が作ったお米で自慢できる一粒孫になってやる。 【原文のまま】 がいっぱいに広がっている。祖父が一生懸命育てたお米が、少しずつ少しずつ大きくなっている様子を見るのがぼくは好きだ。朝、夕、涼しいうちに苗のチェックを欠かさずにする祖父のゆっくり田んぼを歩く様子は、祖父が一本一本苗を大切にしているようにみえる。の方々の指導により苗を育てるところから田植え稲刈りまでに取り組んだことがある。小さな小さな土の上に落としたり分からなくなるような種をひとつずつポットの上に入れる。ドキドキして緊張したのを覚えている。それから、水をやり続けて、小さな苗が出た時は、みん作文部門長崎県教育委員会教育長賞雲仙市立国見中学校1年久山 豪己さんキラキラした水面に、緑の苗ぼくは、小学生のころ、JA 米が立つ時(全国推薦作品) 5
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