いつ うん 2戦後七十八年。6月末から夏にかけ鎮魂の夏がやってきました。沖縄戦終結の「慰霊の日」が6・23、犠牲となった20万人超を追悼する「慰霊の日」が糸満市摩文仁の平和公園で営まれ、遺族ら約4千人が参列、恒久平和を願いました。沖縄は、戦闘に巻き込まれた県民の4人に1人が犠牲に…。平和の詩・朗読を高校3年、平安名秋さん(17)は、祖母から凄せ絶ぜな沖縄戦の体験を聞き育ちました。太平洋戦争で亡くした兄を思い涙を流す姿を見て命の尊さを実感。祖母の「戦争はいけん、平和が一番」。言っていました。戦没者名が刻まれた兄の名を指でなでながら涙がとまらない。その姿に「沖縄の想いを未来に語り継いでいきたい」と。素朴な熱い想いがテレビ画面を通じ伝わり、沖縄の人々の声を真剣に受け神じ風ぷ特別攻撃隊。作家・城山三郎さ止めてほしいものです。沖縄の戦いは広島、長崎の原爆投下につながっているからです。 (私事ですが)毎月一日は県護国神社を手始めに地元の神社を詣で二時間ほど歩き、お参りしています。護国神社の一隅にある飛行兵の碑に足が止まります。 「あゝ特攻」の文字の下、飛行服の少年の像。お国のためにという大義で大空に散華した彼らの純粋な心情。んの「大義の末」が浮かびます。海軍特別攻撃隊に志願入隊。原爆のキノコ雲を大村・郷原の山奥から見た。敗戦になったこの瞬間の戦争体験に即し書いたという。 「指揮官たちの特攻」も忘れられません。特攻を考えた奴は、修羅だ特攻を命じた奴も、修羅だよおし、それなら、俺たちが本当の修羅になってやる城山さんが語り、文章化の一節です。先の大戦は人災でした。「修羅になってやる」彼らの切なくやりきれないうめきが聞こえてきます。ドイツのヒトラーがどんなに大台風の眼であったにせよ、人災なら阻止できたであろうに。であれば人災の被害はもっともっと少なくすんだ。行方不明5千6百40万人に及ぶという。人間の魂と肉体が破損され、4兆ドルの天文学的戦費があわの如く消えました。特攻隊員など軍人、一般住民の命を含めです。沖縄慰霊祭をはじめ広島8・6、長崎8・9の慰霊と鎮魂の夏は続きます。独裁者にはロシアのワグネルの反乱みたいに(まだ不透明な部分も多いが)プーチン政権の弱さを暴露しましたが、ヒトラーの人災を阻止できた一つの手段でしょう。城山さんが言っていた「国家というものは最後のところで信じられない」。深く同感です。鎮魂の夏をしめくくる追悼の言葉です。鎮魂の夏49の国が巻き込まれてしまい戦死・著・三軒茶屋ニコみどりの風
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