こぶれ 2023年7月号
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ら32年の「いのりの日」も終えました。雲仙・普賢岳の6月3日大火砕流か本来の「おやま雲仙」の姿を取り戻すような「欧米人が歩いた長崎から雲仙への道」。著書を梅雨空を吹き飛ばすようにむさぼり読んでいます。雲仙は国際貿易港ナガサキから訪ねられる避暑地として外国人に人気を取り、長崎の交通路やホテル、ゴルフ場といったインフラ整備が進展。おやま雲仙は国内外の観光客が押し寄せる町に一転。1934年に日本最初の国立公園3カ所の一つに指定されました。観光地として明治から太平洋戦争直前までにぎわい続けた名所。長崎の外国人居留地研究の第一人者で長崎市グラバー園名誉園長のブライアン・バークガフニさん(七二)が筆をとり雲仙の歴史をつづった待望の書です。雲仙の盛衰を8章にわたり記述、ノーベル文学賞を受賞した米国の女性作家パール・バックら著名人のエピソード、雲仙の四季を描写した文章など興味深い。筆者にとって幼児の頃、父から聞いた雲の上にあるおやまのイメージが離れず、憧憬と神秘につつまれた童話の世界がいまだにあります。高校時代、雲仙まで徒歩旅行を計画、出発しましたが諫早でグロッキー。祖母の旅館に泊まり、早々に帰路した苦い思い出が…。でもおやま雲仙は徒歩だから夢があったんですね。三十二年前の大惨事では、取材する側で指揮と記者の安全確保を願いながら日夜奮闘の毎日、おやま雲仙も心から消滅していました。これを浮上させたのが「欧米人が歩いた長崎から雲仙への道」。温泉と避暑地、新緑の薫風は心をいやし、異国情緒のホテル、長崎からの経由地として長崎・茂木・千々石・小浜の隆盛など往事のミニ歴史も雲仙ならでは。バークガフニさんはカナダ出身。 を調査研究してきました。その過程で長崎と雲仙の深いつながりを知り、執筆につながった、そうです。過去の戦争中にも、雲仙には外国から避暑客が訪れた。国同士の対立があっても雲仙になぜ外国人が来たのか。国際情勢の厳しい現代の一考にもつながります。雲仙観光客のシンボルの一つでもあったゴルフ。筆者もヘタのなんとかで、おやま雲仙に恥ずかしかったが2度ほど。大満足でした。知人がバークガフニさんのゴルフ仲間。「おやま雲仙でどうですか」とお誘いしたいが身のほど知るだけに口にはだせません。今秋の雲仙温泉神社の例大祭。お普賢さまが山頂からお下り。コロナも下火、「欧米人が歩いた長崎から雲仙への道」の出版をお祝いに参拝しますか。おやま雲仙                    2著・三軒茶屋ニコ83年長崎市に移住。居留地時代の長崎みどりの風

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