今秋、西九州新幹線の開業という県民の念願がかない(リレー方式ですが)大にぎわいで沸いている折、筆者は佐世保市のハウステンボス(HTB)の行方がとても気になっていました。オランダ語でいう「森の家」のイメージと重なる町が確かにあった。長崎オランダ村ハウステンボスをオープン直後、訪れ、そう実感しました。国内で最大規模のテーマパーク。ちなみに東京ディズニーランドの約二倍。二千二百億円を投じたオランダの町がそこにありました。宮殿、塔、豪華ホテルがどの建物も既に息づいていました。夕暮れ。運河の水面に建物の照明が映える。オランダ風車が異国情緒を添えている。町の中央にあるシンボルタワー「ドム・トールン」から大村湾が一望できる。ディナークルーズも出港中。小雨に都会的な興趣がある。スケールの大きさと質の高い、新都市の誕生に驚きながらも感動がありました。その立役者は、神近義邦長崎オランダ村社長(当時四十九歳だったかな)。西彼杵郡西彼町生まれ。地元の農高から町役場に入り、将来の町三役候補だったという。列島改造ブーム。オイルショックの昭和四十年後半、神近さんに人生の転機がくる。農業青年を中心としたバイオパークの事業に携わります。これが縁でミネベア・グループの総帥・高橋高見氏を知る。その師に経営のノウハウを「サンドバッグ並みに怒鳴られ、鍛えられた」。事業へのエネルギーもだ。これがオランダの町づくりに倣い、オランダ村の展開、そしてハウステンボスに。古里を主舞台にした神近さんの人間ドラマをかいま見ているようです。神近さんがハウステンボスを離れた後、経営に行き詰まり旅行大手エイチ・アイ・エス(HIS)によって着実に再建中だったが、やはり運に恵まれず投資会社PAGに売却さらに再建を目指す経営運の浮き沈みに遭っています。訪日観光客の個人ツアーが解禁され、入国制限はほぼコロナ禍前に戻っています。旅行業界にはほのかな光が見える今、追い風を受けた新会社スタートに期待するだけです。ハウステンボスのオープン前日、全国マスコミにプレ・オープンのご披露があり、筆者がその代表(地元紙だからでしょう)でお祝いのスピーチをしたことを思い出しました。神近さんのこと「森の家」など話した記憶があります。森の家はハウステンボスの原点であり、再建のシンボルもそこにあるからです。創始者の夢と情熱を生かしてほしいものです。 森 の 家 2著・三軒茶屋ニコみどりの風
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