長崎新聞記者が撮ったスクープ写真があります。新聞協会賞も受賞しました。本島元長崎市長が右翼に銃撃された現場写真。国内外に報道され、テロ行為を糾弾する声を広く呼び起こしました。時にはペンより重い1枚の写真もある。そのことをさらに実感したのが長崎市のデパートで開催された「栄光のLIFE展」でした。フォトジャーナリズムの先駆けになったアメリカの「LIFE」誌に掲載された写真家七十八人のモノクロ作品、二百点が展示されていました。第二次世界大戦が終結した翌年から十年間の一九四六年―一九五五年に舞台を設定。いわば強いアメリカに象徴される黄金期。この一瞬をとらえたフォトエッセーや写真の傑作が集まっていました。登場人物の多彩さも魅力でした。アイゼンハワー米大統領、チャーチル英首相、サルバドール・ダリ、オードリー・ヘプバーンなど政治家、芸術家、ハリウッドの大スターが顔をそろえていました。その時代の主役たちです。もちろん真の主役は写真家。フォトエッセーのユージン・スミスをはじめ朝鮮戦争のD・ダグラス・ダンカン。彼らの作品からは、生死をかけたシャッターの鋭い音が今でも聞こえてきそうです。写真は子供の頃から興味がありました。距離をおいた空間を越え、フィルムに直結する被写体―謎の世界に近いマジックでした。懐かしいジャバラ式の写真機が対馬・厳原町の八幡神社のお祭りのくじ引きで大当たり、小躍りして飛び上がったものがその出会いでした。フィルム、現像、焼き付け代などお金がかかることから小遣いでは足りず縁が切れました。新聞記者として離島勤務に記事と写真の二つが〝必要道具〟となり二度目の出会い。が、シャッターを押すのは簡単ですが、現像、焼き付けが四苦八苦。ことに温度20度の現像仕事が熱く、冷えすぎなどでお手上げ。焼き付けで目をつむったままの人物に、針で目をあけさせたところ、おでこを突き刺し〝妖怪〟並の人物を登場させるに及んでサジを投げ降参でした。東京時代、ソ連大使館で本島市長と外相シュワルナゼさんの極秘会談のスクープ写真。無事? 撮れていました。不得手で連敗の写真にようやく奇跡の大逆転ですか。今でも苦笑しきり。しかし筆者を写真が敬遠しているようです。最近でも第六十七回県展。野口弥太郎賞を新聞で拝見。佐賀県の武雄神社の大楠。複雑に隆起した幹と根。雨にぬれて深みを増した緑。 「すごい写真や!」と絶賛していたら洋画と分かり呆然。「絵も写真みたいに描けるのか」と妙な感心をしました。情けないけど、これが世の中。「老害にならぬよう」と、ただただ自戒です。ペンより重い写真著・三軒茶屋ニコ 2みどりの風
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