お諏訪さんの文学碑 「岬道 (現在、長崎市磯道町)に祖父がかつコロナ禍でシャギリの音が消え二年、今年の秋もどうだか。おくんちになると必ず訪れるのが長崎市の諏訪神社に建立されている元日本児童文芸家協会会長・福田清人さんの文学碑。おくんち詣での思ひ出も 清人」福田さん自筆の一句です。福田さんは明治三十七年(一九〇四)東彼波佐見町に生まれた。長崎港を抱く岬―土井首の磯道て村長を務めた縁もあり、医師である父に伴われ家族で移ってきたのが八歳の時。岬と出合いの地であり、多感な少年時代を過ごす。岬道は〝好奇の地〟でもあった。西彼杵半島に籍を置く漁民で、舟が住ま んん 2ばん金き鍔つ次兵衛を主人公にした長編「長崎いの「家船」を方々の浦につけ、漁をしながら暮らしている人たちもその一つ。 「海のジプシイ」の題材になり、怪人・切支丹物語」にも登場します。筆者の大好きな作品。この岬の風土と歴史はまた、半自伝的児童小説「春の目玉」を代表作に「岬の少年たち」「天正少年使節」など数多くの名作を生むことになります。 「私の住み親しんだ岬といえばこの一角にすぎないが少年の思い出に深く刻まれて、私の文学の原郷ともなっている」と、コップ酒をちびりちびりとやりながら目を細めていた温顔が忘れられません。岬に絶ち難い愛着があるように、古里にも〝熱い思い〟があります。母校旧制大村中学(大村高校)をはじめ県内三十余校のために作詞した校歌は児童・生徒に愛唱されているそうです。春の高校野球県大会で優勝、九州大会に出場する波佐見高もそうで、古豪復活で夏の大会最有力候補高。甲子園で福田さん作詞の校歌が聞けるかもしれません。また在京県人をメンバーにした「無月(俳句)句会」を主宰している。こうした福田さんの業績に県人、文学者、教え子、知友だった諏訪神社の名物宮司・上杉千郷さんらが平成二年、「文学碑建碑委員会」を発足させ、その年秋、文学碑が建立されました。 「神域にわが文学碑を建ててやろうとはありがたい極みであるが、さて碑に刻む文は―」。ふと思い出したのが、自ら撰せ文ぶし向井去来句建碑式(昭和六十一年、諏訪神社)に提出した「岬道おくんち詣での思ひ出も した。福田さんには、いつまでもあの岬が息づいています。筆者が十年間いた東京支社から本社に帰崎する時、お別れの色紙にいただいたのが、 「栄転の 別盃 銀座の春灯」心もとても温かい大文人でした。清人」で著・三軒茶屋ニコみどりの風
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