こぶれ2021年10月号
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小兵力士筆者の暑さボケと言わず、ウッカリミスで今月号の「みどりの風」原稿、行方不明。慌てて「暑中雑感」で書き直し、格好をつけたものの冷や汗?原稿を届け、その直後、別の居間の書物の下にある原稿「私の東京五輪」を見つけました。幻の東京五輪となった一九四〇年、出生時の大会。初の東京五輪、就職時の一九六四年、東京五輪と薄き縁、自分史を重ねながら今年の東京五輪。昭和、平成、令和三代の〝人生総括〟を締めくくったもの。でも中身もなく面白くもない。再掲載の気はまったくなく〝オクラ〟です。テレビで横綱になった照ノ富士の会見があっていた。そうか九月場所が十二日から開幕。業界で言うフンドシかつぎの〝序二段〟まで転落した照ノ富士「横綱たる品格のある相撲を取りたい」と余裕の       ちう             2   弁。小兵炎鵬の大ファンだったが、十両に落ち相撲の興味がなくなっています。手元に探し当てた昭和三十四年秋場所の古い番付表を眺めています。幕内力士の最重量、ベスト3は若秩父、松登が150・8㌔、三根山148㌔。ちなみに軽量のベスト3。玉響86・3㌔、鳴門海87㌔、清ノ森がオールドファンには懐かしい太鼓腹の人気力士たち。その昔、巨漢と言われた力士。いまの力士の体重と合わせるとМサイズ並みの力士。いかに大型化が進んだかが分かります。外人力士、日本人全体の体位向上があったことも見逃せません。いまや150、160クラスのスーパーヘビー級の力士が並の人と言われる角界。自分の体重の二倍以上の〝肉の壁〟にぶち当たる善戦は見る人の心を奪います。そこに炎鵬を見て、ハラハラさせるスリル満点に年がいもなくテレビ観戦にしがみついていました。炎鵬の原点は、NHK相撲解説でおなじみ舞の海。平成二年、出羽海部屋から夏場所初土俵。174㌢、95㌔の小兵。学生相撲の名門、日大で全日本体重別選手権で優勝した以外は、これと言うタイトルはありません。プロになっても身上の粘りとしぶとさは天下一品。大相撲力士入門規定173㌢以上、いるが実際には169㌢しかない。頭のテッペンにシリコンを埋め込み身長を1㌢でも伸ばそうとした、涙ぐましい努力の話もある。 「アマの実績もあり、入門規定に満たなくても特例として認める」と協会幹部の大英断?で合格。力がないので技能派として猫だましから足取り、内う無む双そ、切り返しと奇襲戦法のデパートでした。プロを目指すアマの「小兵力士の星」となった舞の海。炎鵬も舞の海を追いかけたのでしょう。柔よく剛を制す―日本古来の名言葉。相撲茶屋の名物おにぎりに食いつき、小型・軽量の活躍をみたいものです。90㌔となっています。75㌔以上。番付では174㌢になって著・三軒茶屋ニコみどりの風

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