こぶれ2021年4月号
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みどりの風著・三軒茶屋ニコ 春の陽気で脳の血行がよくなったのか、記憶も芽を吹き出したようで……。 今も広く親しまれている長谷川伸の股旅(またたび)物の傑作「一本刀土俵入」。 東京にいる頃、歌舞伎座で観劇した。女形の脇役(わき役)、中村千弥さんの子守娘が役に息づき印象的でした。 序幕と大詰めをつなぐ「利根の渡しの場」、お蔦の子を背負った子守おてるが、風車であやし、子守唄をうたいながら登場。 駒形茂兵衛を追ってきた無頼漢たちとの立ち回りを、草むらから見たあと「お角すもう力さん、強かったねぇ」と茂兵衛と二言三言交わす。子守唄であやしながら去る。 それだけの役だが、千弥さんの子守唄が哀切をにじませ、心に響く名場面になっている。 平成二年十二月二十五日の千秋楽で三百五十回を数えました。初役は昭和二十九年七月、二十三歳の時でした。 脇役で三十六年も同じ役をつとめている例はなく、歌舞伎脇役の新記録をマーク。いまだに破られていません。 初役の舞台で原作者の長谷川さん。演出の(時代劇作家)村上元三さんに認められ、翌年には名題昇進、いわゆる持ち役に。 これまでに付き合った茂兵衛は中村勘三郎の九回をはじめ尾上九朗右衛門二回、市川猿之助、中村吉右衛門それに中村勘九郎と多彩な顔ぶれです。 子供の時から芝居が大好きで高校を中退し、勘三郎の内弟子になった。修業の最初も師匠の子供たち――勘九郎の初舞台から専属の養育係。 舞台で勘九郎の茂兵衛初役の時、師・勘三郎が二重写しになり、涙が出て子守唄が思うようにうたえないで困ったそうです。 役作りで師から言われた「色気を出すな」を肝に銘じ、舞台に精進したいと決意を語ってくれました。 筆者には昨日の出来事みたいな気がします。 そう大事なことを思い出しました。「これまでやってこれたのも雲仙岳をのぞむ情景が心の支えだった」と。 この時ばかりは、名脇役・千弥さんから※南高有家町出身の東浜保さんの素顔になりました。 舞台はとっくに引退しているので、千弥さんの子守唄は二度と聞けません。 ふるさとで普賢岳をながめながら余生を楽しんでいるのかも。 大見栄を切る千両役者もそれなりに絵になるが、華麗な空間の片隅すみからもれてくる、素朴で甘く切ない子守唄、千弥さんに芝居の妙味をしみじみ実感します。※現在の南有馬町有家町 子 守 唄2

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