みどりの風著・三軒茶屋ニコ 西彼時津町打坂の国道206号沿いにお地蔵さんがあります。 石を積み重ねた台座にこんな言葉が刻まれている。「――自ラ乗客三十有余の生命ニ代ワリテ散華セリ 享年二一歳」と。 昭和22年9月1日、そのころ一方が崖になっていた打坂で、転落寸前の満員バスを救った車掌がいた。 自らが輪留めになり殉職した長崎自動車の鬼塚道男さんを慰霊する地蔵と碑文。この実話を基に名古屋市在住の元教員・吉田理おさむさんが「愛の地蔵」とし自費出版しました。 昭和四十九年春、殉職の悲話をラジオで知りました。「感動で胸が詰まり、涙がとまらなかった」。教師としての職業意識が、鬼塚さんの少年時代に走りました。 休みを利用し母親など関係者を取材、一気に書き上げました。 手書きの「愛の地蔵」は、児童・生徒に読んで聞かせ、教材の一つになりました。 定年退職。その退職金で二十年ぶりに出版にこぎつけました。 鹿児島県出身の鬼塚さんの一見弱々しい少年時代から愛と勇気の行動で終わる短い一生を追っています。 そこには真に優しい人間こそ強い人間だという、信条の確かさも立証されています。 「現代社会を反映し、今の子供たちは利己的で損することをしない傾向にある」。だから鬼塚さんの優しさと正義感を知ってほしい、という教育者の情熱と願いが文中にあふれています。 人間らしい心の持ち主を目指す――何も子供たちの世界だけではない。 山積みされた書類、スクラップなど整理していた中に「愛の地蔵」を見つけ、読み直し実感しました。 確か北海道でも同じようなケースがありました。鉄道事故を自らがブレーキ代わりになって事故を防ぐ、やはり心を打ちます。題名は忘れましたが映画にされたみたいです。 「愛の地蔵」のことを平成5年、新聞のコラムに執筆したところ、かなりの反響があり筆者自身も驚きました。 人間が求めている優しさと心の持ち主、感動もしました。 以来9月1日、お正月の年四回ほど家人がせっせとお地蔵さまの赤帽子と胸かけを手縫いで作り、慰霊しています。 筆者は何もできないのでボーッとして地蔵さまの清掃作業、帽子を作っている数人の方の善意にありがたく感謝するだけです。愛の地蔵2
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