みどりの風著・三軒茶屋ニコ 落語ファンの方ならピーンとくる常套句の一つに「おあとがよろしいようで」という言葉があります。 これをマネて噺はなし家かではない一般の方でもギャグや冗談で語り終える時や行動、所作の終わりに「おあとがよろしいようで」をオチのように使う人もいますよね。 筆者もこの言葉が好きなものですから、時々やります。 「みどりの風」でも何か書いたような気がします。 ところが全くの誤用です。落語で使われている「おあとがよろしいようで」はオチではありません。 最近、落語の本で知りました。浅学の極みでありますな。 「おあとがよろしいようで」はトリの人は使わず、その演者の後ろに誰か、他の出演者が控えている場合のみ使います。 筆者の知人で大学の落語研究会出身のMさんがいました。一、二度聴きいたのですが間とタイミングの悪さがひどく「これは物にならない」と。 結局、プロを諦め故郷の山口県の役場に勤めましたが、やはり落オチ研ケンを売り物にしたく役場に来る人に「おあとがよろしいようで」を連発。 それでも飽き足らず通行人にも「おあとがよろしいようで」。 役場でも問題になり窓口業務から下水道関係に回されたようです。人がダメなら動物とばかり犬にやったところ吼ほえられ、追い駆けられた、というのが彼の消息の終わり。 芸は身を助けるのか滅ほろぼすのか。 そう、おあとがよろしいようでは「次の出演者の準備がよろしいようで」という意味もあります。 東京・浅草の寄席、演芸場など行かれた方はわかるんですが、芝居や歌舞伎などの舞台と違い、その日の出演者が開幕前にそろっているわけではありません。 その日、落語だけでなく漫才、講談、物マネなどいろんな演者が入れ替わり立ち代わり出演します。演者は自分のやる時間に目星をつけて入ってきます。 前の演者が次の演者から準備OKのサイン。これを受けて「あおとの準備が整ったようなので、私は失礼いたします」の意味で「おあとがよろしいようで」のセリフ。 マラソンの駅伝レースではありませんが、演者から演者への芸のタスキが渡され、寄席はいつまでもつながっています。 芸の世界の良さが、しみじみ伝わります。 枚数の制限もきましたので、これで「おあとがよろしいようで」。おあとがよろしいようで2
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