こぶれ2019年9月号
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みどりの風著・三軒茶屋ニコ 毎夏、恒例のように八月か九月号に書いている被爆体験。被爆の年にプラス(+)5を足すと私事ながら筆者の実年齢。 どちらもどんどん加算しているようです。 戦争を知る世代が少なくなっていくのが恐こわい。自分さえ生きれればいいという、平和ボケの世がほんとうに怖こわいからです。 被爆だけでなく、多くの民間人が犠牲になった沖縄戦、佐世保空襲、東京大空襲、二万人超の日本兵が硫黄島の戦いで死亡など数えきれません。 戦争は人生も変える。 作家・五木寛之さんは敗戦を北朝鮮の平ピヨンヤン壌で12歳。ソ連兵の自宅乱入など命こそ奪われずに済すんだものの、朝鮮半島や大陸は無法地帯。 一般居留民は敗戦を待たず国家に見捨てられていた、と。日本軍の上層部やその家族は早々と本国に逃げ出していた、そうです。 一家は日本人と集団を組み徒歩で38度線を越え、開ケソン城の難民キャンプに収容され、敗戦から数年後に帰国。この引き揚げ体験が五木さんの人生観の土台になっています。 デレシネとは「根なし草」、祖国を離れ流浪する人々か。五木さんは「戦争や政治的迫害により力尽くで土地を追われ、漂ひょう泊はく民となった人々」と。この国もデレシネに似て、先行き不ふ透とう明めいとも。 七月に死去したジャニー喜多川さん(本名 喜き多た川がわ拡ひろむ)。八十七歳。歌って踊れる男性アイドルの世界的モデルを築きずき上げ、ショービジネスへの情熱を燃やし続けました。 少年四人組のジャニーズをはじめ数多くの超人気のアイドルグループ。観客を興奮と夢の世界に誘う。 が、みのがしてならないのは、舞台で一貫した平和への願い。根底にあるのは米国で生まれ、経験した第二次世界大戦など〝戦争の悲惨さと悲劇〟。 戦争で傷ついた地球に平和をもたらそうと、タレントを通して若い観客に伝えてきた。 アイドルタレントが主になった追悼報道のなかでジャニー喜多川さんの熱い思いを書かせてもらいました。 沖縄戦で動員された元知事の大田昌秀さんが生前、語っていた日本は戦前と同じ状況だ。戦争はすぐ始まるものではない。じわじわと国民生活に浸透し初めて発展する、という。 上皇陛下が1993年「今、世界は、平和を望みつつも、いまだに戦争を過去のものにするに至っておりません」。沖縄訪問で語ったお言葉です。 秋風と虫の音が夏の終わりを知らせます。 平和への願いがいろんなことが去来するときです。 戦争は夏だけのものではありません。 四季を通じて語り継ぎ、言い伝えることが大切なことを改めて実感します。 被爆から七十四年2

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