こぶれ2019年4月号
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みどりの風著・三軒茶屋ニコ この原稿が読者の皆様に届くころは、新元号が明らかになり、5月の新天皇即位と慶賀ムードも新時代の到来に拍車をかけるでしょう。 平成という時代が終わり、新時代 ――どんな気持ちで迎えるのか興味津しん々しんです。 平成を振り返るとき、真っ先に思い浮かぶのは災害。 本県の雲仙普賢岳噴火。それが収束しないうちに阪神・淡路大震災そして2011年、阪神大震災を超える東日本大震災が発生、相次ぐ大自然災害のラッシュに戦せん慄りつです。 私事ですが、東京勤務十年という地方紙記者の最長記録を持って帰社したとたん、1991年3月1日、新聞社に銃弾が撃ち込まれ、同じ年の6月3日、雲仙普賢岳災害。時速100㌔の大火砕流は、取材陣をはじめ43人の命を奪い、歴史的大事件が起こる。 この日は午後4時を回ったばかりの時「ザーッ」とも「ドーン」ともつかない轟ごう音で、島原市の建物の電気が消え、夜でもないのに周辺が暗闇になってしまいました。 早朝から島原市は厚い雲におおわれ、普賢岳の火口は見えない。 常時一時間あった火砕流の発生する時間が異常に短い。取材ノートを点検すると午後3時台には4回の火砕流が発生している。 「おかしい!?」胸騒ぎ。記者のカンでしょうか。 結果的に被害総額2,300億円、1万1,012人が避難生活を余儀なくされる。島原市は人命の安全を考え、住宅地を立ち入り禁止区域に設定。 自然災害で住宅地が警戒区域になったのは史上例を見ません。 この噴火がまだ続いていた頃に、関西地方で大きな地震が発生、6,000人以上が亡くなった阪神・淡路大震災。 そして犠牲者が関連死を含め2万人を超える東日本大震災。2年後、宮城の河北新報を中心に地方紙OB視察に、筆者も招かれ参加。荒涼たる整地がまるで原野。 吹きつける冷風に立ち尽くすのがやっとだった、ような気がします。 ショック以上のものでした。 平成という時代を改めて実感したのは、自然災害だけでなく、文字どおり「激動の時代」であったと思います。 政治では二度もの政権交代、都市銀行は不良債権問題で13行から5行に減りました。社会事件ではオウム事件など、激動の時代という言葉がピッタリです。 これらの教訓は平成から次代へと語り継がねばなりません。考えてみると、この荒波の洗礼で私たち国民は、ずいぶん鍛えられました。貴重な財産でしょう。 これを基本に新しい時代を力強く冷静に生きていきたいものです。 と、外の上でなにか声――人ではない。車のエンジン音でもない。 筆をおき外に出ると、ホーホーと高い鳴き音ごえ。下句のケーキョとつながらず妙な音こえだった。 ウグイス。平成の終わりの春も到来です。平成の終わりに…2農協直売所を訪ねましたが、もう少し清潔感が欲しいなと。他所より上回るレベルが望ましい。苦言を呈し申し訳無し。(長崎市の四苦八苦さん)ご意見、ありがとうございます。ペンネームからも「苦言を呈し申し訳無し」というお気持ちが伝わってきました。さっそく伝えます。

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