みどりの風著・三軒茶屋ニコ 好きな〝サムライ〟集団が新選組です。 新選組は男の美学があります。近藤勇、土方歳三、沖田総司らは武州多摩で剣の腕を磨き、一振りの刀を握って幕府浪士組に加わり京都に入りました。 新選組の歴史。それは破天荒な男と一足先立って時代に殉じた破格の盟友たちとの二千二百四十五日。 戦場であれ私闘のさなかでも土壇場であっても彼らはいつも前を向いて逝きました。 きょう立春。テレビのニュースで佐世保の個人梅園が満開とありました。 一ヶ月も早く咲いたとか。暖冬。 梅の花にピーンとくるものが……筆をとりました。 浪士組の一員として京都へ出立する前に、土方歳三は一冊の俳句集を生家に残していました。 句作の趣味があった土方が、それまで詠よんできた俳句の中から自選した四十一句を抜き出した私家集。 歳三の雅号は豊玉。これから豊玉発句集と名付けている。 その句集に 梅の花 一輪咲いても 梅は梅 人の世の ものとは見えず 梅の花 これに関連して春の句は 三日月の 水の底照る 春の庭 水の北 山の南や 春の月 春の草 五色までは 覚えけり 山門を 見越して見ゆる 春の月 なかなかの感性を持った人です。 そうでした、簡単なプロフィール。 土ひじ方かた歳とし三ぞう 天保六年(一八三五年)生まれ。17歳で近藤勇と出会い、近藤の天然理心流に入門。 25歳、試衛館のメンバーと共に浪士組に参加、上洛し松平容保より新選組を拝命。 明治元年34歳、鳥羽伏見の戦いに敗れ江戸に撤退、甲府勝沼の戦いで惨敗。明治二年、35歳、箱館戦争で戦死。 京都に上洛する人生での最大のイベントに対峙する心象を詠んだものに 差し向かう 心は清き 水鏡 入洛した近藤の決意の一首 事あらば われも都の村人と なりてやすめん 皇すめら御み心こころ 新選組トップと№2の心意気がひしひしと率直に伝わります。 近藤の右腕として数々の事件で武名。鬼の副長として剣豪ぞろいの隊士たちに恐れられた。 戊ぼ辰しん戦争の最後の戦場になった箱館五稜郭防衛戦で狙撃を受け戦死。 土方歳三の武名は聞くが、京都などの戦線で詠んだ句は皆無。しかし、詠まぬ人になったとは筆者には思えません。 どこかに書きとめているのでは、と。 ふとまた思い出したのが桜より梅を愛めでた与謝蕪村。最期となった句です。 しら梅に 明る夜ばかりと なりにけり 俳句界の御大将・蕪村と剣士・歳三の句の詠み比べも風雅です。 いや「文武」の一騎討ちですかな。歳三の豊玉発句集2方言マンガの愛野編、大笑いして少しシュンとも。その昔、両親がそっくりなトーンで言い合っていました。94歳の母にも読ませたい。(雲仙市の荒木芳子さん)方言って面白いのと同時に、思い出などもよみがえってきて、ある種の哀愁も感じますよね。荒木さんとこぶれおばさんって似てるのかな(^_^)v
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