こぶれ2018年1月号
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第43回「ごはん・お米とわたし」作文・図画コンクールと茶碗一膳のご飯にどれほどの人々の思いが託されているのか計り知れない。日本人にとって米は単に、お腹を満たすものだけではなく、ここまで命をつないでくれた先祖と私たちを結んでくれているものではないのだろうか。 僕達の暮らす現代の日本では、街に出れば手軽に安くどんな食べ物でも手に入れることが出来る。おおげさではなく、一度も生の米に触ることもなく、一生、食を繋いでいくことも可能だ。実際に一人暮らしの若者の中には炊飯器を持たない人も少なくないと思う。今、自分が食べているものがどこから来て、誰の手を介してここにあるのかも、何が入っているのかもわからない。自分の手仕事がどこにも関わってないものを何の疑問も感じずに口に運んでしまう時代。こういう時代の流れを嘆く人もいるだろう。しかし僕は炊飯器を持たない若者よりもさらに若い。世の中がどんどん便利になっていくというけれど、実は僕には何が便利かも分からない。おそらく不便を感じたことがないのだと思う。そういう時代に生まれてきたこそ、母は私に対して食べることは生きることだとくり返すような気がする。何でもある時代だからこそ本物を見極める目、自分の食に丁ねいに向き合う姿勢が必要なのではないのだろうか。そして、それこそが命に、自分が生きることに向き合うことなのだと思う。 太古から続く人々の思いが、お米の一粒一粒に詰まっているのだとしたら、それをいただく前に、丁ねいにその声と向き合う時間があってもいいのではないのだろうか。食べるという当たり前の、生きていく上で最も大切な行為において、じっくり考えて手間をかける時間は今の時代、自分でよほど意識していないと便利さの波に全部さらわれてしまいそうだ。 米をとぐ、それは、日本人にとって単なる食材ではないお米の、その恵みに直接触れて感謝できる貴重な瞬間なのだと思う。そう考えると家族がつけてくれた「米とぎ名人」の称号がとても誇らしいものに思える。 これから先、うれしいことがあった日、落ち込んで食欲のない時も、シャカシャカシャカと丁ねいに米をとぐことで自分の明日を信じられる、そういう自信が持てると思う。今日もまた、ふっくら炊けたご飯の湯気の先に家族の笑顔と僕の未来が光って見える。 シャカシャカシャカ、指の間を米が泳ぐ。一粒も逃がさないように慎重に水を流し新たにひんやり澄んだ水を注ぐ。その作業を何度かくり返すうちに米の一粒一粒がキラキラと輝き出す。手のひらですくい上げれば蛍光灯の光に照らされて、きれいだなと毎回思う。 「コツはなに?」 そう聞かれても、正直自分では分からない。しかしどうやら僕は米とぎ名人らしい。仕事で夕方忙しい母に代わって、小学生の頃から夕飯の米とぎは僕の仕事の一つになっている我が家では朝晩の二回ご飯を炊くが、夕食時ホカホカと湯気の上がるご飯を食べながら父も母も、やっぱり悠矢がとぐと一味違うと首を傾げる。そして、これはあなたの特技だから自信を持ちなさいと言ってくれる。「悠矢、食べることは生きることだよ。丁ねいにね」小さい頃から何度も言われた母の口癖の一つだ。ただ単に食べることが好きな食いしん坊らしい言葉だと思っていたが、学校で歴史を学んだりテレビのニュースを見るうちに決して単純な言葉ではないような気がしてきた。 日本の歴史を振り返ってみても、食べ物が余る程になったのはたったこの数十年のことだ。それまで人々はずっと、生きるために食べ、食べるために生きてきたに違いない。特に米に関しては政治も文化も争いもそれを中心として歴史が動いてきたと言えるのではないのだろうか。そう考える一粒の思いは重い南島原市立布津中学校2年 下田 悠矢入 選 掲載できなかった作品も、素晴らしい作品ばかりでした。紹介できなかったのがとても残念です。今年もたくさんのご応募をお待ちしています。7沖縄からの民泊の女子高生5人組が「寒い、寒い」と連発していて、沖縄と長崎の体感温度の違い、納得しました。(南島原市のポストマンさん)やっぱり沖縄の人には22℃とか23℃は「寒い」んですね。今度、沖縄の人に会ったら「ひやかぁ」て教えなんですね(笑)

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