こぶれ2018年1月号
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第43回「ごはん・お米とわたし」作文・図画コンクール曽祖母の『おにぎり』という答えの理由は気になって仕方がありませんでした。すると曽祖母は、 「今は好きな物を好きなだけ食べられるけど、昔の戦争の時はそうじゃなかったんだよ。真っ白なお米は貴重でなかなか食べられなかった。だからお米を食べる時はあの頃を思い出すんだよ。あんな戦争はもう二度とあってはならないけど、そんな暮らしを経験していなかったら、こんなに感謝して食べていないだろうし、今の私もいないだろうと思うよ。あの日々があったからこそお米のありがたさを今も感じる。何を食べるよりお米を食べる時が幸せを感じる。だから白米のおにぎりを最後は食べたいと思うよ」と、涙がこぼれ落ちそうになりながらもほほえんで教えてくれたのです。その日に曽祖母と食べたでんぶのおにぎりはいつもよりずっとおいしく感じたことを今でもはっきりと覚えています。その時から私も、最後の夕食は曽祖母とおにぎりを食べたいと思うようになりました。そしてその思いは変わらず私の胸にあります。 ひいばあちゃん。聞こえていますか。ひいばあちゃんが天国に行ってしまった今でも、私は最後の夕食はひいばあちゃんとおにぎりが食べたいと思っています。ひいばあちゃんは戦争時の生活がお米に感謝する気持ちにつながったと言っていたけど、私はひいばあちゃんが教えてくれたから、ひいばあちゃんがいたから、お米に感謝する気持ちがあると思います。お米と私をつないでくれてありがとう。ひいばあちゃんの最後の夕食、一緒におにぎりを食べてあげられなくてごめんね。おぼんにはひいばあちゃんに私がおにぎりを作って持っていくね。第43回「ごはん・お米とわたし」入 選入 選「りくじょうでおにぎり」雲仙市立小浜小学校2年 田中 海月「ばあちゃんの大豊作」島原市立第二中学校1年 林田 倖明5小野田さんとの会食の風景が眼に浮かびました。戦争を知らない私は、小野田さんの帰還に衝撃を受けた記憶があります。(南島原市のヨッサンさん)おばさんも帰還された時の様子は、かすかに覚えています。筆者のニコさんも、貴重な体験をなさったことだろうと思います。

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