こぶれ2018年1月号
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みどりの風著・三軒茶屋ニコ 新年となると、いい話、めでたい元気づけられることを書き始めに。 昨秋、長崎新聞文化章を受けた五島手延うどん協同組合前理事長の舛田安男さん=新上五島町七目郷=。 舛田さんは協同組合の設立に尽力。五島手延うどんを全国レベルに押し上げ、販路拡大に貢献、特産品に仕上げた産業・科学部門に功績が認められました。 この快挙に合わせ、もう一つの風景が浮かびます。 昭和51年夏ですから古い白黒写真みたいなものか。 東シナ海に面した上五島町船崎の集落。島でも珍しい手打ちめんを作る犬塚治郎さん。当時五十代前の年齢。 その製法を思い出しました。 小麦粉を手でこね、これを毛布で蒸むす。次いで延べ板で平たくする。さらに包ほう丁ちょうで細かく切り、次第にめんの様相を呈してくる。 とにかく労力と根気のいるハードワーク。うまいめんの秘法は手でこねる〝妙〟と塩水による味付け、と。 今流に言う企業秘密になるのかな。 おいしく召し上がるコツ。沸ふっ騰とうした湯に数分つけ、ころ合いをみて、めんを壁に投げつけ、これがピッタリへばりつけば、食べどき。 干しアゴのだしでの地獄炊きは最高の味覚。 船崎は古来から手打ちめんの産地。戦後の食料不足ですっかり途絶えた。 男手は漁船員、出かせぎで流出、犬塚さんがアルバイトの主婦十二、三人で孤軍奮闘中だった。 犬塚さんは「船崎うどんを再び復活、昔の活気を取りもどしたい」。 これを基に地元紙に五島点描「うどんの里」と題し、掲載しました。 舛田さんに初めて会ったのは昭和48年6月、当時28歳の青年。七目地区の少年空手クラブで、子供たちの健全育成に努めていました。 本業は兄のキャンデー屋さんを手伝っていたようです。 舛田さんが「何かで地元復興をめざす」と常日ごろ考えていましたので「船崎うどん」と出会うのも時間の問題だったんでしょう。 それがうどん製造と販売を決意し、荒波に船出するきっかけになったかどうか。いずれにせよ五島手延うどんの統一ブランドを推し進めた力ちから業わざ、大したもんです。 そう、対面のあいさつで、大声で「瑞穂会です」と自己紹介。 「瑞穂会って?」――後で諫早農高 OBと分かりました。 上五島の坂本龍馬会のリーダーとしても活躍しています。 文化章の授章式で「歴代受章者は雲の上の存在の人ばかり。選ばれるなんて…同業者の協力、町民の励まし、役場の指導、県のバックアップのおかげ」と感謝の弁。 「命のある限り地元発展に向け頑張る!」と。 大きな拍手。 〝瑞穂魂〟は健在です。瑞 穂 魂16この秋は遅くまで暖かい日が続き、お正月用にと種から蒔いた葉ボタンの巻きが弱く、白い葉ボタンも青い茎になってます。(雲仙市のたいすけパパさん)葉ボタンの話題を聞くとお正月って感じがします。本店にも2種類植えてありますが島原は寒かとでしょうか、普通の感じです(^_^)v

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