こぶれ2018年1月号
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みどりの風著・三軒茶屋ニコ 新年号ともなるとなんとなく書くことに新鮮さを感じます。 ひと足早く新年を迎えると言うヤク得だからでしょう。 例年だとエト・イヌの故事来歴をひとくさり申し上げ、わけ知り顔で書き始めるのですが、今年はそんな気になりません。 故事来歴のネタ本を探す時間がもったいないとか億おっ劫くうでもないのですが…。 心境の変化――?!。率直に言いますと「足たるを知る」ことが、ようやく分かりかけてきたからか。 身のたけを知る。そう歳をとったからか。楽観も悲観でもなく自然体。 足るを知る、つまり「足たりる」に同じ。満足すること。お金がたまったり、財産が入ったりしたわけでもありません。 ここ数年、歳ごとにこんな気持ちになれるのも、昔の人が重んじた「知足」だからでしょう。 どうせあの世には何も持って行けないのだから、晩年に近づくにつれ、足るを知ることを学んだ方がよいように思う。 これは身をきれいにする生き方につながる。ようやくこれが分かりかけてきた。自然の摂理でもありますな。 ふだんは怠け者ですからゴミを山のように溜めていて、大晦日にバタバタと大掃除をしスッキリ新年を迎える。 遅かったが、ようやくこれに気づいたか。これを日常生活に生かすのが「足るを知る」の基本だとも。 その一例が処分に困る私用の物。手帖、日記、手紙の類たぐい。自分の美化、安っぽい正義感など鼻もちならない。 子々孫々まで残すものでない。考えた挙げ句、自分で始末するのが手短かで簡単。一般のゴミと混ぜ年末までに破棄。ええ気分でした。 一年のできごとは、年末までに区切りをつける、これも足るを知ることだ、と。 「我がものと思えば軽ろし傘の雪」。どなたの句か知りませんが、体力があるうちはいい。最近のように気、体力がなくなると、傘の雪をおろしながら歩く方が実によい。 「こぶれ」とは、おやつどきの「小こ昼ひる」が語源の島原半島の方言。京風のみやびやかな語感。「ホッと一息ついたおやつ感覚で読んでもらえるように」との名づけ理由を知り、8年目の新年号。 平成22年11月号から本コラム執筆。これで十分。足を知らないのか、いや、物を書くことに足るはない。 高尚な文学論をぶつわけでもありませんが、書く世界は次元が違うような気がします。 物欲のそれとは違います。 「身を捨て虎を飼う」心境で新聞記者時代から書いてきました。 筆を握っている間は変わらないと思います。虚名?欲張り?未練?からか。 ハッキリ言えば書くこと大好き、それしか能がないのでは……。 要は能なし。 これを新年の抱負に改めて読者の皆様にごあいさつです。 いやはや。足たるを知る2
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