こぶれ2017年12月号
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みどりの風著・三軒茶屋ニコ ここ数年、新聞が単調でおもしろくない、という嘆きを耳にします。 物書きのひとりとして気になる言葉です。 かつて、ある有名な作家が「新聞というものはほとんど読まない。それをプライドにしている」ということを、何かの活字で見てカルチュアショックを受けました。 なぜ読まれないのか。 どうも内容が同じ。つまり横一線でケジメってものがない。と、その作家は豪語していましたな。 新聞をつくる人たちも文章を書くことが最低限の仕事。この根性が消えつつあるのかなぁとも。寂しいですね。 報道するだけでは、1+1=2の発想でジャーナリズムとして貧困。なぜ1+1=4か5の発想がないのか、うーむ、です。 こんな凡ぼん庸ような流れの中でいい日本語、面白い文章、啓発される文章がコラムです。 朝日の「天声人語」、毎日「余録」、読売「編集手帖」、日本農業新聞「四季」、地元紙長崎「水や空」などです。 新聞とコラムはその歴史から切り離せません。大正末期から昭和にかけて毎日新聞は詩人・薄すすき田だ泣きゆう菫きんの「茶ちや話ばなし」が大人気で読者を獲得していた。 朝日も負けずに随筆家・杉すぎ村むら楚そ人じん冠かんが「待った!」をかけた。プロの根性の一筆勝負です。新聞の時代が始まります。 筆者が愛読している日本農業新聞の「四季」。農業専門紙ながらコラムの独自性、鋭さ、柔らかさ、人間性、博学、時折のユーモアなど他紙の追随を許していません。 四、五人で執筆しているようですが、トップレベルのコラムです。心に残るコラムはスクラップ帳に収録しています。 今年は8月30日付のそれが秀逸でした。 「写真家・沢田教一展」をテーマにしたもの。 「世界的カメラマンが戦場で見た〈悲しみ〉と〈希望〉の記録である。迫力ある数々の作品に驚く」この書き出しが心を奪う。巧い。 「沢田が逝ってからもう半世紀近い時を刻む。存命ならば81歳。ベトナムを経て1970年、内戦激しいカンボジアの前線で散る。地を這はい密林に潜みながら戦争の悲劇を切り取ろうとした」 「米ピュリツァー賞を受けた有名な『安全への避難』はベトナム戦争の〈真実〉を突いた歴史的な一枚である」。 実に洗練されたいい日本語が続きます。誇張でなく身を乗り出したくなります。 「写真展の副題は『その視線の先に』。未来を見据えた。作品は〝今〟も息遣いを伝え、訴え続ける」。 文章ははったりもなく、淡々とした筆調。読んだ人たちの心や魂を揺さぶる。 こんな文章が新聞の生命を保ち、復権を予感させるコラムと言っていい。新聞コラム2

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